HISTORY 歴史
幾つもの物語を見つめてきた地
旧東京市長「中村是公」邸跡地
『ザ・パークハウス広尾羽澤』の敷地は、大正から昭和初期にかけて、鉄道院総裁、東京市長、貴族院議員などを歴任した中村是公(なかむらよしこと 1867~1927年)が広さ約8,000㎡もの私邸を構えた地です。その後は、各界の名士が訪れる料亭・レストランとしてその名を世に馳せました。この料亭時代には、囲碁や将棋の名人戦の舞台としても注目を浴び、昭和30年代には将棋棋士・大山康晴と升田幸三がこの地で名勝負を繰り広げました。
江戸、明治、大正。積み重なる歴史の面影
江戸時代には、薩摩藩や下総佐倉藩など数多くの藩邸が軒を連ねた広尾界隈。明治以降は、これらの藩邸のあった敷地は、皇室の御料地や日本赤十字社病院(現・日本赤十字社医療センター)として新たな歴史を刻んでいきました。1926年(大正10年)に発行された地図では、中村是公邸の東側に、香淳皇后(昭和天皇皇后)が幼少期を過ごした久邇宮邸(現・聖心女子大学)の表記を見ることができます。
中村是公と夏目漱石の絆
実業家・政治家として名を馳せた中村是公は、夏目漱石の友人としても世に知られています。是公と漱石は東大予備門時代、ともに墨田区両国に下宿を構え、「ぜこう(是公の音読み)」「金ちゃん(漱石の本名・金之助)」と呼び合う間柄でした。1916年(大正5年)、漱石がこの世を去った際に是公は、「意地張りで、親切で、義理堅くて、手軽に約束をしない代りには一旦引き受けたらば間違へぬという美点もあった」と綴り、親友・漱石を偲びました。
震災復興に尽力した、東京市長時代
関東大震災が東京に甚大な被害を与えた翌1924年(大正13年)、是公は、震災後の復興計画を創案した後藤新平と東京市会からの推薦を受け、東京市長に就任。震災後の東京の復興に尽力しました。
※掲載している画像、素材(テキストを含む)などの情報は、分譲当時、竣工時、または当サイト制作時に作成、撮影したものであり、実際とは異なる場合がございます。
※掲載している画像、素材などの情報の一部には、イメージが含まれており、実際とは異なる場合がございます。
※掲載している画像、素材などの情報の一部には、イメージが含まれており、実際とは異なる場合がございます。